当然ながら敏郎さんも最初から渋く苦みばしってたわけではなく、若い頃があったわけで。
 
新しくファンになった自分のような人間は、この当たり前な事にコトサラ感嘆する。それだけ敏郎さんのパブリックイメージは偏っている。
 
『醜聞』で青江を演じる敏郎さんを初めて観た時、アイドル的媚びをまとう姿は衝撃的だった。黒澤監督がそんなふうに演出することも意外だった。すべては若くハンサムな敏郎さんに慣れていなかったせいだ。
 
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黒澤監督が敏郎さんに惚れ込んでいたのは有名な話である。
 
三船はいいねえという満足感と多襄丸で極まった感のある怒涛の「俺の敏郎」ショット。監督自身が色んな敏郎さんをもっと見たくて自分のものにしたくて焦ってるような、そういう気持ちで撮られているから、黒澤作品での敏郎さんは格別だ。
 
やがて敏郎さんには監督に惚れられてる役者の一種の神々しさが宿る。
 
インスピレーションであり、ミューズであり、敏郎さんは黒澤監督の映画への情熱そのものになった。監督の欲望を果たし続け、思わぬ愛情に戸惑いながら懸命に応えようとする敏郎さんを、監督は一層寵愛した。
 
なぜそんなに敏郎さんを気に入ったのかは監督の自伝に当たってもらうとして、デビュー作『銀嶺の果て』での敏郎さんは想像以上に役者としてイイ感じだった。三船ヤバイと思った黒澤監督は渋る新人を実力行使で自作に起用、そこで期待を遥かに超えたスクリーン映えを敏郎さんが見せたものだから、監督の創作意欲が掻き立てられたのは想像に難くない。
 
若く男前だけどヤクザ風情の新人が演技もイケる献身的な役者と証明され、東宝幹部も他の監督たちも敏郎さんを撮りたがり、実際29歳から32歳の間で29本の作品のほとんどに主役として出演、使われまくっている。
 
これが敏郎さんの役者人生第一のピーク、新鮮味と若さの魅力が支えるピークだろう。75歳で役者人生を終えるまで、敏郎さんは役者としてのピークを何度も迎えている。
 
主演俳優と監督という関係が途絶えた時、黒澤監督は55歳、敏郎さんは45歳になっていた。
 
二人でやれることは全てやったと後に監督は言っているが、敏郎さんはそうは感じていなかっただろう。振り回され気味だった敏郎さんに余裕が出て、二人のステイタスが近づいて、一方的に寵愛を受けて仕事をするスタイルから抜け出て、これからまた新しい章がスタートするくらいの心境だったのではないか。
 
斬新でエネルギッシュな世界の創出、それだけが監督のいう二人でやれることだったなら、確かに最善は手にしていた。可能性を封印したのは間違いないから酷くもったいないことだった。
 
若くハンサムな敏郎さんは黒澤作品以外では恋人役などわかりやすい配役を数多くこなした。それらを目にする機会が限られすぎていることこそが、敏郎さんのイメージを偏らせている原因だろう。黒澤作品は敏郎さんの一部であって、その10倍近く他の監督作品が存在している。それらをどんどん公開しDVD化すべきだ。
 
若くハンサムな敏郎さんにもっと触れるべき。そう強く感じさせられたのは木下恵介監督の『婚約指環 -エンゲージリング-』での”まるで見たことのない””想像したこともない””辞書に載ってない”敏郎さんを見たからである。
 
若い医師、江間を演じる敏郎さんの気恥ずかしくて直視できないほどの男の純情。熱海の水口旅館でのナイーヴ感ハンパない敏郎さんを見て顔から火が出そうになった。あんなセリフを吐く敏郎さんを見る心の準備が私にはまだ出来ていなかった。
 
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舞台は初夏の熱海、まだ舗装されてない白い砂利道、歩いてすぐのところにある海では子供達が泳いでいる。この頃の熱海は野趣に富み、実にのどかで素晴らしい。そんな保養地でのバカンス気分漂う爽やかな舞台設定だがテーマは不倫。共演は当時の大女優である田中絹代。アメリカかぶれが鼻に付くと炎上した渡米バッシング真っ最中だった彼女は、それでも江間を見つめる瞳に不純、女の欲を宿して見事だった。だが田中絹代の「老醜」をあげつらうセクハラバッシングに掻き消され、作品は評価以前の扱いだったらしい。
 
敏郎さんの健康な肉体から発せられる圧倒的な男性美が、田中絹代の老いを必要以上に際立たせてしまったとしても仕方がない。むしろテーマ的に正しい。キャスティング意図は的中し、夫婦の愛情は敏郎さんの眩しすぎる性的魅力に存分に残酷に試された。
 
敏郎さんにとって語るべき何かのある作品ではないだろうけど、江間のような男は二度と繰り返されない役、どんな役者にとっても若い頃一度しか発揮できない魅力に溢れた、最初で最後の「初めて見る」「若さ」ばかりを武器にした役だったと思う。三十郎のような男としてしか敏郎さんを認識していなかった私などは見てはいけないものを見てしまった気にさえなった。そして壮年になってもなお男前な敏郎さんに若さが戻った場合の10倍返し的魅力の掃射に、思った、若くハンサムな敏郎さんにもっと触れるべきなんだ皆んなも!!
 
三島由紀夫はこの作品を絶賛した。絶賛ポイントに敏郎さんの肉体美優先の存在感が含まれていたかは知らない。三島由紀夫は黒澤作品をディスる数少ない人である。三島由紀夫にとって、黒澤三船コンビは元からミスマッチであり、黒澤映画からの敏郎さんの解放は、歓迎すべきことだったかもしれない。