敏郎さんの共演者の中で森雅之は別格である。
森雅之は敏郎さんと面と向かって相対する存在。『羅生門』での共演は男の色気の両極、これ以上ない魅力の補完だった。敏郎さんが猛々しく生(性)を発散させている向かい側で、内面を抑え同じ滾る男にしてもヒンヤリとキメる森雅之。強い日差しが生む虚ろな影、二人の姿は陰影深い葉陰の森に擬態して溶け込む。
あのシチュエーションで絶対に遭遇したくないタイプの多襄丸に納得のジト目で応える金沢。
私が森雅之を初めて知ったのはこの『羅生門』、と最近までそう思っていたが実際は違った。溝口健二の『雨月物語』で私は既に森雅之を見ていた。『雨月物語』で源十郎を演じる森雅之は神がかり的に素晴らしい。疲れ切って家に辿り着き、待っていた妻の宮木に詫びるように語りかけるように眠りにつく、その演技。この重要なシーンの撮影が終わった時、緊張から解放された森雅之が「火をもらえませんか」とタバコを手にすると、溝口健二自ら真っ先に飛んで行って火をつけたというほどの得難い感動的な演技。超絶な名演なのに森雅之という名を刻み込めなかった。敏郎さんの時もそうだが、あの素晴らしい役者は誰なんだ?とならない自分に驚く。
敏郎さんも『西鶴一代女』で溝口作品に出演している。主人公おはるが一番最初に愛した男勝之介を演じ、キツネのように顎の細い思い詰めた若党姿で無念のうちに絶叫する激しさはいかにも敏郎さんな感じであった。森雅之らしさとは何だろう。森雅之の役者人生において異色な役だったかもしれないが、私にとって森雅之といえばやはり『白痴』の亀田欽司である。芸術の香り高く、繊細で、デカダンで、才気走ってて、古風。森雅之は『白痴』に一番必要な雰囲気を持っている。『白痴』の中で彼だけが浮いていない。
森雅之は敏郎さんより9歳年上、遊び人で、酒豪で、想像通り力の抜けた人であった。役者として舞台に映画に精力的に活躍していたが、その一点に全身全霊を捧げるようなストイックな堅物ではなかった。無駄に苦悩することなく余裕を持って楽しんで演じることのできる役者であった。『酔いどれ天使』での敏郎さんの演技カンと動きの良さを絶賛し共演したいと望み、ジルバを踊る敏郎さんを見てああいう躍動感は自分には出せないと脱帽していた。自分を引き合いに出して賞賛せずにおれないほど子供のように素直にスゲエ!と興奮したのだろう。それは人間が野生の虎を見つけてドキドキするのと似てるのではないか。
『羅生門』で念願叶って共演した時には、敏郎さんの先天的な才能に「恐ろしい位のカンのよさ、うらやましい男」と喜び、天衣無縫な個性、現場でのアイデアの出し方にも感銘を受けたそうだ。
僕も初めてのおつきあいでつくづく感じたんだが、彼(三船)の動きを見ていると、何か我々がいわゆる考えている演技、我々が毎日悩んでいる演技というものに疑問を持ってくるね。もちろん彼が熱心に研究をしているのは解るが、ともかく、彼には演技以前のもの、持って生まれた、言うに言われぬ先天的なものがあるらしいね。
演技に四方を囲まれるがごとき『白痴』で再び敏郎さんと共演することになった森雅之は、亀田が自分に合ってない気がしていた。でもその俺誰感が、また良く亀田を表していたように思う。二人は緊張と弛緩を接近戦で披露する。ラストに向かって普通なものがなにもなくなってしまった赤間と亀田を演じる敏郎さんと森雅之の何がイイって「顔」がイイ。何ならセリフもいらない、動きと顔を映すだけでもよかった。
「役者とは自己表現。何でも演じられるのが名優ではなく、自分が自分を演ずるのが演技である。そうすると必要なのは個性。いろんな役者がいるのはそのため。」ある友人のそんな持論に森雅之は賛成していた。森雅之の父である作家有島武郎の『カインの末裔』の仁右衛門を君は演じることはできない、ふさわしいのは三船敏郎だよという友人の見解も森雅之は自覚していた。粗暴で野卑な罪人仁右衛門が敏郎さんの役であるというのは私も同意する。激情に駆られ涯まで一気の、手のつけられない仁右衛門を見てみたい。敏郎さんなら本質を鷲掴みにして惜しみなくナマの感覚でもってぶちまけてくれる。手加減をしない敏郎さんに周りはいつもそんな勝手な期待をする。時に犠牲を強いる。
その後『悪い奴ほどよく眠る』で再び共演を果たすが、加害者と被害者という因縁がある割に敏郎さんと森雅之の絡みは重要ではない。向き合わず互いに背を向けているか互いの背中を盗み見るような関係。今度は敏郎さんがジト目で森雅之を見る。それでもなお二人だけのシーンに格別なものを感じる。舅の岩渕が電話で密談するのを傅くふりして盗み聞きする西。互いを見もせずに牽制し合う姿のどこが格別なのか、両極なものが近づきすぎて一時的に感じる緊張感なのか、または物凄く相性がいいことに気づいていないフリをしているからなのか。
二人の密な共演がもっとあればいいが残念なことに無い。近くて遠い森雅之。知的で理性的と言われることの多い森雅之も敏郎さんと一緒ならノリでアクション映画もこなしたんじゃなかろうか。『白痴』は森雅之のフィールド、敏郎さんのフィールドでの共演があったら面白かったのに。想像するのは『上意討ち拝領妻始末』の浅野の役を森雅之が演じる姿。実際は仲代さんが演じており、勿論それはそれで良いのだが別に仲代さんじゃなくてもと思ったりしなくもない。浅野は特にエキセントリックな人物である必要はなかったから仲代さんでは若干印象深すぎる。その想いを件の作品を見るたびに森雅之に置き換えて晴らし、ひとり悦に入る。敏郎さんと森雅之、二人でそぞろ歩きながらサラリーマントークをしたり、赤ん坊に飯をやったり、どれほど愁いのある滋味のある可愛らしいシーンになったことだろう。