もう12月。早い。来年は没後20年、敏郎さんが徐々にキテる。ハリウッド殿堂入り、ドキュメンタリー映画の公開、だがそれらは海外発信であり、未だ国内ブレイクの機運は低い。何の気なしに使われる「世界のミフネ」という常套句、海外での評価がずば抜けて高いという当時意図したところはわかるのだが、今の時代に上手く伝わっていない気がする。意図せず漂ってしまっている日本軽視の尊大な感じ。
ネットで悪しく書かれても忘却よりはマシかもしれないが、明らかに貶めよういう悪意ある記事を見ると、しかも検索で上位表示されていたりすると、少なからぬ人にとって三船敏郎とのファーストコンタクトがこの記事になるのかと愕然とし、この筆者は敏郎さんの何をどうしたくて、わざわざ書くのだろうと思う。酒癖が悪く、離婚裁判で暴言を吐き、親子ほど歳の離れた愛人を持つことが、日本では尊敬されない軽蔑すべき致命的な汚点だということか。悪評は毎年のように再構築され、煽られ、敏郎さんに付きまとう。気にするな、たかがネット、捨て置け。
今年は一体何回「三船敏郎」「toshiro mifune」でネット検索したことだろう?
一年以内の期間指定でググるのだが、ある時期から毎回のように「酒乱の三船敏郎を叩きのめし、石原裕次郎に詫びを入れさせた安藤昇」という酒乱確定タイトルがトップで表示されるようになった。泥酔状態で安藤昇に殴りかかり案の定返り討ちにあってボコボコにされたエピソード、これは真実のようだが、喧嘩して帰ってきた敏郎さんが腹の虫が収まらずもう一度外に出て行こうとしたので周りの人が薬品を染み込ませたハンカチを敏郎さんの口に当てて気絶させて事なきを得た、なんていうネタみたいな話もある。
安藤昇とは昨年亡くなった元ヤクザの芸能人、多才な人物だったらしい。三船敏郎を半殺しにしたり五社協定を無視して移籍しても業界から干されるわけでもなかった。敏郎さんがボコボコにされたのは稲垣浩監督の『宮本武蔵』の撮影中で、当然撮影にも影響が出た。もし黒澤監督の撮影中の出来事だったとしたら一体どうなっていただろうか。安藤昇は当時現役のヤクザで黒澤監督はヤクザ嫌い、主演俳優をボコボコにされた監督の逆襲を見てみたかった気もするが、敏郎さんに説教する姿のほうが想像し易い。ちなみに上の画像は『用心棒』でボコボコにされた桑畑三十郎であって安藤昇にボコボコにされた敏郎さんではない。
敏郎さんと同じMGに乗っていたというだけで某役者に腹を立て、あいつ生意気だ!ちょっと呼んで来い!と周りに三船愛を見せつけた黒澤監督。敏郎さんが『山の男の歌』というレコードを出した時は、役者が歌なんて歌うもんじゃないと断じた。その歌を聴いたことがあるけど悪くなかった。監督に言われたからというわけでもないだろうが、敏郎さんはそれ以降歌手フィーチャーで歌うことはなかった。三船、なかなか上手いじゃないか、と監督にだけは親心で褒めて欲しかった。
池部良が或るインタビューで、相性の悪い男優はいたかと聞かれて、男優は皆仲が良かったし気心が知れたと言っていた。敏郎さんと安藤昇もその騒動の後でも顔を合わせれば普通に挨拶をするくらいな感じだったらしく、昔の人は気持ちがさっぱりしていていいなあと思う。『まあだだよ』で内田百間を演じた松村達雄は、私は三船敏郎という役者が好きでねえ、としみじみ言い、その理由として敏郎さんのさっぱりした性格を挙げている。率直で気っぷのいい敏郎さんは男にモテた。
一方、女優の敏郎さんを見る目も掛け値なし。
“三船さんという人は犬が照れたような顔をしてしまう。ほんとうに真っ赤になってしまう。だからこっちも照れてしまう。”と高峰秀子が暴露的に書いたのが事実なら、敏郎さんは純情、ウブ、シャイ、このいずれか、もしかしてこの全てに見える。俺は手加減というものができないからねと本人が言うように、全力で照れて赤くなる。ラヴシーンを「演じる」という感覚が敏郎さんには体得し難かったのだろう。敏郎さんのあの力強い逡巡やドキドキ感に心揺さぶられる。二人の共演ではいつも敏郎さんが密かに心寄せる側である。そういう意味では顔に出過ぎる演技はマズかったのか。あれが全てではないし私生活は別の顔だろうが、女優に言われるとその評価には決定力がある。
久我美子は森雅之についての本の中で、森さんとはラヴシーンがやり易い、安心できる、リードが巧いと森雅之を絶賛している。中にはやりにくい男優さんもいて、ってソレ、敏郎さんとのアノ映画でのあのシーンの事?それはさておき彼女も相手が照れると自分も照れてしまうらしい。だからやっぱり敏郎さんには山口淑子が合う。山口淑子は照れない。彼女は敏郎さんをHoney bearに仕立て上げる。男性として申し分ない敏郎さんを生かすも殺すも女優次第ではないだろうか。
元宝塚の新人女優の間で「池部学校」と呼ばれていた池部良。彼女たちが東宝へ入ってくると最初の相手役は池部良という定番は、製作陣の「三船では合わないから」という衝撃的な消去法に由来している。あるまじき思い込み。でも敏郎さんは内心ホッとしていたかもしれない。女優は皆自分が一番だから苦労したと池部先生は言っている。あの池部良も苦労するなら敏郎さんは尚更。
荒々しく野性的なイメージが先行していたデビュー間もない頃、“本当の僕は小心者”と雑誌の記事で自己紹介した敏郎さん。俺だって人並みに戸惑うのさ、くらいの意味だと思う。役者という評価基準があいまいな仕事、敏郎さんは生涯コツが掴めなかったのではないか。安藤昇は、役者なんてヤクザみたいないい加減な仕事、字だって一文字しか違わないと言っている。二人の感慨は似ている。