– あの役者の名前がどうしても思い出せない
– どんな作品に出てるの?
– 『赤ひげ』とか
– 三船敏郎?
– いや違う、なんて言ったかなあ、『蜘蛛巣城』にも出てる、あのほら何だっけ
– 三船敏郎だよ
– 違う違う三船敏郎はわかるよ、違うんだ、どうしても名前が出てこない、なんて言ったかなあ
これは父とのつい最近の会話である。
父の世代にとっても敏郎さんはレジェンドでリアルタイムの人ではないが、有名人であるから顔と名前は一致している。結局父が名前を思い出せなかった役者は仲代達矢だった。『赤ひげ』と『蜘蛛巣城』どっちも出てないんだけどな仲代さん。複雑な思いがしつつも父が『蜘蛛巣城』を見ていたことは嬉しい。
ならば父は「三船敏郎」主演のどんな映画を記憶しているのか。いつだったか父が食い入るようにテレビ画面に見入っていたことがあった。何を見ているのか覗いてみると『風林火山』だった。目を射られ仁王立ちで呻く敏郎さんのエネルギッシュな姿に目も心も奪われているようだった。父は画面を指差し「三船敏郎」と言った。
もちろん自分も「三船敏郎」は知っていた。が当時まだ敏郎さんに惚れておらず、『風林火山』を観たことも聞いたこともなかった自分に、勘助を「三船敏郎」とすぐには認識できなかった。ただ、テレビ画面のスケールに合わない演技の熱量と見た目から、ああホントだ、三船敏郎だ、とじきにわかった。
思い返すに自分にとって『赤ひげ』で新出去定を演じる敏郎さんは、敏郎さん未満な印象、敏郎さんぽくないというか、役に隠れているというか重なっているというか、どこか三船敏郎不足なのである。だから父が新出去定を敏郎さんと見なかった感じ、わからなくもない。

多くの人が『赤ひげ』を傑作と賞賛し、黒澤三船コンビの芸術的到達点のように言う。自分は今まで『赤ひげ』を3回観ている。初めて観た時のことは思い出せないが2回目に観た時は正直好きじゃないと思った。そして敏郎さんに惚れて以降初めての3回目、やはり傑作とまでは思えなかった。敏郎さん最後の黒澤作品となる門出の一本と思えばなおさら、少なくとも敏郎さんの最高傑作ではないだろう。
演技という面ではもしかしたらある地点に到達したのかもしれない。「人間」をよく見つめる新出去定の不動を敏郎さんは体現している。黒澤監督はいつも通り丁寧に新出去定の硬軟を演出している。互いを尊重するようになされた演技と演出。その敏郎さんの新出去定、アレは違う即ち赤ひげではないと忠言めいたことをした人もいたという。自分が感じた「あの新出去定には敏郎さんが足りない」と同じようなことを別の方角から言っているように思う。

その昔、黒澤明は新人の敏郎さんに「思うように自由に」「地のままで」演じるよう声をかけてきた。子供が絵を描く時、線を紙の外まで思い切って引く、その気持ちで、と。監督の才気を目の当たりにして臆することなく自分を存分に表現してきた敏郎さんも、新出去定を演ずる頃には、そうはしなかった。『赤ひげ』は殆ど既に黒澤映画後期の作風に属している。台本を読んで、これは今までと違う役、作品だとすぐに気づいただろう。
敏郎さんらしさが無いというのは文字通りの意味である。敏郎さんが何かを変えて新出去定になっている証拠でもある。思えばそれまで敏郎さんに寄せるように役を描いてきた監督がそれを意識せず、逆に敏郎さんが寄せていく初めての役だったのではないか。いまや世界に名を轟かす映画スターであり華やかで裕福な世界に住む敏郎さんに清貧の聖者の役を与え、一部の人間が違和感を口にしたり思うような興が出なかったとしても、監督にとってそれは想定の範囲内であったと思う。三十郎のような醍醐味のある役とは違うが、新出去定は敏郎さんが役者としてどんどん化けて面白い存在になっていく兆しの見えた役だった。

だが監督は以降敏郎さんを起用しなくなった。敏郎さんは揺るぎない土台を失ってしまった。もし『赤ひげ』以降も監督が敏郎さんに役を与えて化けることを続けさせていたとしたら、一体どんな意表を突くことが敏郎さんの役者人生に起こっただろうか。
敏郎さんは『用心棒』に続いて『赤ひげ』でヴェネチア国際映画祭最優秀男優賞を受賞した。