日本博物館創立者で画家でもあるハンガリー人のドマ・ミコー氏が、映画『雨あがる』で父を彷彿とさせる殿様役を演じた三船史郎さんにインタビューした2012年の記事が面白い。父と息子の歳月にミーハー気分の入る余地はなし。偉大な父のもとに育った息子は、父の願った以上の人物になった。
『雨あがる』は私も見たが、後期黒澤作品の常連俳優が数多く出演する中、史郎さんは不思議な存在感を漂わせていた。現実離れしたというかおとぎ話に出てくるようなというか、とにかく突出していた。そんなところは敏郎さんに似ているかもしれないし、むしろ史郎さんのほうが個性が強いかもしれない。エキセントリックで目の離せない子供のような殿様、史郎さんも父に似て、役にうってつけ、そういう数少ないタイプの役者なのではないだろうか。望まれる要素を体現し、目を奪い、演出できない強い印象(エネルギー)を残すタイプ。
仕官を諦めた浪人を自ら馬を駆って追いかける、全力で山道を疾走する見事な乗馬シーンは、はやる気持ちとスリリングな空気に包まれて、夢が叶った映画である本作らしい希望に満ちた爽快なラスト。
偉大な監督の残した夢の道先を偉大な俳優の面影が疾走していく。
史郎さんと黒澤久雄氏と和子さんは子供の頃から仲が良かった。変わらぬ友のまま歳をとって、こういう形で互いの偉大な父親の遺志を継いだのも、三人にとっては自然なことだったのかもしれない。こうして絆が続いていくのだと思うと嬉しい。当人以上に、周りが「黒澤と三船」の組み合わせを気に入っているのだ。
存分に感傷的になり、同時に、史郎さんの演技や顔つきは面白い、他の作品にも出ればいいのに、例えば北野武監督の作品とか、そう思いながら見ていた。黒澤監督は北野監督を買っていた。余計な説明などせずズカズカ撮るから好きなんだと、どこかで聞いたようなことを言っていた。
北野武がバイク事故後の記者会見で数珠を手にしており、それが当時話題になったらしいが、なんとその数珠は原節子からもらったものだったそうだ。9月に原節子が亡くなった時、ある番組でタケシ本人がそう言ってた。どんな関係なんだ?タケシが業界人にモテるのは知ってたけど原節子までとは。
原節子が亡くなり、いよいよ日本映画の黄金期の輝きが消えたような気がする。本当にそんな時代があったのかと思うほど遠い彼方の時代。彼女に特に思い入れもないし、知った時にはもう既に伝説の女優であって全く現実の人とは思えないくらい遠い存在だった。それが今年敏郎さんに惚れたおかげで女優原節子を知ることとなった。彼女は大スターだが私にとっては赤間に殺される『白痴』の那須妙子でしかなかった。もっと彼女を知るべきだろうか?
敏郎さんのニューフェース試験のその場に原節子は審査側として居た。敏郎さんより2歳年下の彼女は既に東宝のトップ女優であり、敏郎さんは最近まで軍隊にいて戦後の混乱に生きていた。なんというギャップ、なんという迫力のあるシーン、映画であればナカナカの見せ場というところで敏郎さんは素晴らしく荒れ狂い、権威主義の審査員を大いにムッとさせ、一方で高峰秀子に女の胸騒ぎを起こさせていた。原節子はというと、彼女は野獣のような敏郎さんを見て「タイプかも❤️」とトキメイていたらしい。
そのトキメキは徐々に冷めていったらしいが、さすが敏郎さん。すべての女性は敏郎さんにときめく。
そんな敏郎さんがハリウッド殿堂入りと聞いて、そのタイミングに驚いた。
今かよ!
このニュースをネットで見た時心の中でそう叫んだが、その後すぐに気づいた。そういう自分だって今頃敏郎さんにハマってる。私もハマるしハリウッドもということで、今年は敏郎さんに注目が集まる年だったのかもしれない。
何故今?という声はやはり多く、私もそう思わずにはいられないが、敏郎さん本人はそんなこと気にもしないだろう。私でいいんですか?なんて謙遜したにちがいない、笑顔を浮かべながら。
何があってもなくても敏郎さん、いつだって貴方は日本人の誇りです。