昨年、BS朝日『昭和偉人伝』という番組の2時間スペシャルで敏郎さんが取り上げられていた。昭和の偉人イコール戦後の日本を盛り立てた人物。敏郎さんは間違いなくそういう人物だ。
日本は凄く変わった。日本人も変わった。敏郎さんのような日本人は二度と現れないだろう。
『サムライ 評伝 三船敏郎』に、敏郎さんは戦地で散った仲間たちの分まで思いを背負って生きてきたのではないかというようなことが書いてあって、いやそれほどまでのことはないでしょと違和感を感じていたが、敏郎ナレッジが高まるにつれ、著者がそんなふうに感じたのもわからなくはないなと思うようになった。
敏郎さんの気迫とか緊張感とか、いついかなる時も握られている拳に、そんなものを見るのはわかる気がする。
放送では貴重な映像の連続、中でも目が釘付けになったのが伝説の「毛布でコート」の実物。
なんという素晴らしい出来栄え。その仕立ての丁寧さは私の想像を遥かに超えていた。
完璧に取り付けられたボタン、恭しくフィーチャーされる敏郎さんのソーイングスキルは、思わず”ミシンか!”と突っ込みたくなるほど精緻なのであった。
そして当時と変わらないんじゃないかというくらいの保存状態の良さ。きっと捨てようと思ったことなんて一度もないのだろう。
殺陣とソーイングスキル。刀から針まで、この振り幅の大きさこそが敏郎さんの魅力。尊敬と憧れと親しみが何倍にも膨れ上がった2時間だった。
敏郎さんは自伝を残さなかった。興味なさそうだし、気遣いの人であった敏郎さんには出来そうで出来ないことだったと思う。毛布で作った手縫いコートは残しても自伝は残さない、それだけでも敏郎さんがどういう人だったかがわかる。美学ではなく、ただ生来のシャイネスで、自分の人生は自伝を残すに値しないと決めつけていたのかもしれない。
偉ぶらず誰に対しても気さくな人だった。とにかく周りに気を遣う、自分がどれだけ大スターなのか最後までわかってなかったんじゃないか、私はそんな敏郎さんが大好きだ。しかし実際にそんな姿を見てしまうと心落ち着かなくなることも確かである。
敏郎さんが1989年に仕事でパリへ訪れた際の映像の一部がネットにアップされていた。
まあとにかく
想像を超えた気遣いの人っぷりに驚く。かつてこれほどまでに自分のバリューやステイタスに無頓着だったスターがいただろうか?スターという言葉が裸足で逃げ出すほどの低姿勢。映画初出演の『銀嶺の果て』でスタッフ並みに撮影機材を運びまくった頃とマインドが一緒。
コーディネータの女性と昨夜の食事にあたって下痢したけどアナタどうでした?なんておしゃべりしてみたり、空き時間になれば、お茶でも飲みましょう私が煎れましょうと言い出す始末。コーディネータの女性がたまらず私のやることです!!と宣言、それでも茶道具に近づかんとする敏郎さんを遮って茶の支度を始めたりして、もう聞きしに勝る尊大さゼロパーセント。大スターからの気さく&気配りのダブル攻撃で、スタッフや世話役は己の立ち位置を見失いかけ、もうどうしたらいいかわからなくなるレベル。社会の秩序が敏郎さんによって乱されているのを見て可笑しくて笑ってしまった。やっぱり敏郎さんは並のスターとは人間のレベルが違う。
こういう全然Badassじゃない敏郎さんにガッカリする人もいるかもしれない。しかし彼は、松永であり多襄丸であり菊千代であり鷲津武時であり三十郎だ。それを忘れるな。
1984年タモリの『今夜は最高』に出演した時の敏郎さんは妙に目つきが艶かしく非常にダンディーでセクシーである。タモリの下世話なフリには乗らず、それでいて気さくで、スターのオーラも申し分なく会話も巧みで、実にパーフェクトなエレガンスを振りまいている。これでは娘ほども歳の違う女だってなびくわけである。
敏郎さんの魅力は偉人として持ち上げるだけではなかなか伝わりにくい。