痩せて長い前髪をハラリと垂らしたその若い男は、ガキみたいに口を尖がらせては喧嘩腰に文句を言い、凄む仕上げに唾を吐く。不遜で粗暴で思いやりの欠片もないが計画を遂行する一貫性と実行力はある。敏郎さん演じる江島はそんな男。敏郎さんのデビュー作であり谷口千吉監督のデビュー作でもある本作は、脚本に黒澤明、助監督に岡本喜八郎、共演に志村喬という間違いない布陣の、約束された一本である。

江島のキャスティングに若い野性的なタイプの男を探していた谷口千吉監督のオーダーに敏郎さんはハマった。当時の敏郎さんにまだbadassな貫禄はなく、でも態度がデカく険のある感じが江島にピッタリだった。実際の敏郎さんは率先して撮影機材を担いで手伝うなど、気さくで真面目な好青年だったけれど。
 
スクリーンに映し出された敏郎さんは、それまでの日本映画の男前レベルを一気に引き上げる。

役者でやっていくには演技力が一番重要、次に見た目も麗しければなおよろしいというのが通説、でも敏郎さんは、所詮役者は男も見た目が命と冷めた見解を持っていたのではないか。だからこそ役者になりたくなかったのだと思う。演技の素養の無い自分は顔だけの役者になってしまう、それではあまりに惨めで面白くない仕事、もっと言えば仕事と呼べるものではないと思っていたのかもしれない。でも敏郎さんのようなワールドクラスの男前は役者になってもらうほか道はない。いらぬ波風が立って他の業界では男前が災いするばかりだろう。

一映画ファンとしての個人的見解で言うと、役者の演技に上手下手は有るとしても重要ではない。演技力は発揮できる良い役を得なければ意味がない。そして良い役というのは演技力よりも合う個性を選ぶことが多い。短い研修を経て初出演作に臨む敏郎さんの演技は、表情が豊かで自然で堂々としている。普段から反抗的な人間の持つリアルな圧がある。オーディションで見せたヤクザな態度がそのまま江島に繋がっている。

新人の三船という新鮮な響き、そのポテンシャル、伸び代。「誰のものでもないむき出しの三船」を見て一体何人の人間がムズムズしたことだろう。初めは他人事だった黒澤明も、演じる敏郎さんをフィルム編集のため見続けて終いには骨抜きにされてしまう。映画の仕事を始めて11年、黒澤明は遂に自身のキャリアにおけるキラーコンテンツを発見したのだ。
 
江島を演じる敏郎さんは、共演する誰よりも見栄えが良く目立っていた。新人がデビュー作で成し遂げたい到達点を、スクリーンに初めて映った瞬間から数分のうちに余裕でクリアしている。


 

リーダーの野尻(志村喬)、最年長の高杉(小杉義男)、江島の銀行強盗3人組は逃亡先の北アルプスにある鹿の湯旅館に潜伏中。追う刑事や地元警察はその足取りを既に掴んでいるが、3人が銃を所持しているため下手に手が出せない。しかし逃亡犯が袋の鼠であることは刑事たちの会話からわかる。冒頭から追い詰められた状況で、刑事たちのノンビリした様子には時代を感じるが、物語はキビキビと進行して変化するから引き込まれる。
 
一方鹿の湯では、疑いの目を向ける遊山の客が監視しているのも知らず、浴衣姿の江島がひと風呂浴びようと手拭い片手に部屋を出てくる。三船敏郎27歳記念すべきスクリーンデビューの瞬間。

目をギョロギョロさせて意気った表情、頬がこけて精悍な印象。暫くしてフンドシ一丁で戻ってくる江島。面倒くさそうに頭を振って長い前髪を額からはらう。そのうしろ姿の隆々とした上半身、引き締まった尻っぺた。観る者を覗き見気分にさせる襖フレーム。

What a …
 
さて本作は野尻役の喬さんが主役である。銀行強盗の主犯格というワルだが、そうは見えないし、実際ストーリーもそっちの方向へ進んで行く。高杉や江島のような人間が持つ弱さが野尻には見えない。あるのは負い目か。

この作品は敏郎さんと喬さんの記念すべき初共演作でもある。実人生において個性の違う2人、この初共演の役の上でも、同じ穴の狢ではあるものの性根が違うため、反目し合う。野尻のダークサイドは序盤で終了し、中盤以降は改心しかかっている男として描かれる。


 

敏郎さんは悪役が似合う。怒ったり凄んだりの迫力が非常に絵になる。なのに全出演作で悪役はこの江島と多襄丸くらい。いや多襄丸は悪役としては微妙、悪役と断言できるのは江島のみか。江島は敏郎さんにとって最初で最後の悪役となった。惜しい。派手な極悪人とか屈折した殺人者とか、ドス黒い役と男前顔のケミストリーを見たかった。

何しろ怒る演技が上手い。この人を怒らせるのはやめよう、と思わせる。バリエーションがある。鹿の湯の仲居さんに口答えされカッとなる「ピキッ」って感じの怒り、逃げ込んだ狩猟小屋で高杉が、今自首したら何年くらい食らうかなあ?と日和った時の「この、どアホっ!!」って感じの怒り、「そんな曲大嫌いだっ!」と声を荒げた烈火の如き怒り。大声は小心の裏返し、江島の人間性を意外な細かさでもって演じている。


ふと隣に視線を移すと、フヤケた笑顔で寝落ち寸前の野尻が寝転がっている。それを見て「はあ?ふざけんな!!」と侮蔑と怒りを連打する江島の表情が絶品。舌打ちの音が聞こえてきそう。あの野尻のゆるみっぷりは江島じゃなくても怒る。ほんの数秒の間に顔を曇らせたり目を剥いたり、すぐカッとなる江島という男が伝わる。敏郎さんの眉毛は微妙な感情表現の要。
 
高杉を雪崩で失い、凍死寸前を救った山小屋の暖かさに野尻は心溶かされ、本当は悪い奴じゃない野尻が顔を出す。もし雪崩で死んだのが江島で残ったのが高杉だったら、自首していたかもしれない。だが江島は目的を見失わない。温度差は隠しようもなく2人の溝は深まる。この状況で何考えてるかわからないのは野尻のほうだ。一刻も早く逃げる算段をしなきゃいけないのに「春の匂いがする」とか言って茶を勧めてくるなんて狂ったとしか思えない。

激しい言葉の応酬で仲間割れが確実となり、迷う野尻を見限った江島は、本田を銃で脅して雪山越えの強行軍のガイドを強要する。傲慢を隠さない江島に益々嫌悪感を強めることで嫌というほど己の愚行を悔いることになる野尻を、山頂の乱闘で見せる憤りとも嘆きとも怒りともつかない歪んだ形相で表現する喬さんの顔が見もの。敏郎さんが思い切り演じることで引き出した表情だと思う。

 
 

そんな基本迷惑男の江島だが、山小屋の夕べ、黙って杯を傾けてたりすると、男前過ぎて嫌な奴感が失せ、恋バナでも始めそうなモテ男に見えてくる。キケンな鳩を横目で冷たく睨むにしても、その大きな瞳が美しい。悪党演技の合間に溢れ出す敏郎さんの素の魅力に目を奪われることしきり、制作側の思惑が読み取れる新人ショーケース的イケメンショットが随所に仕込まれている。


新人は脇役スタートというのが基本なのか流石の敏郎さんもデビュー作で主役とはいかなかった。山の乙女お春坊を演じる若山セツ子は敏郎さんと同期だが本作がデビューではない。彼女の演技はやはり経験者のものという感じがする。お春坊と河野秋武演じる本田さんの絡みに癒される。絵に描いたような「こいつぅ」を見せてくれた河野秋武に乾杯。躍り狂う本田と笑い狂うお春坊の足元で淡々と茶碗酒の江島。敏郎さんがベテランに見えた瞬間。落ち着いて違和感がなくて素敵だ。あの微妙な沈黙の表情の雄弁さ。詳細な演出はされたのだろうか?それとも敏郎さんの好きなように演じさせた?これが黒澤明絶賛ポイント「スピーディーな表現」をする敏郎さんの最初の一例では?

 

黒澤明脚本だけにヒューマニズムが漂い、江島が消えると更に色濃くなる。なぜ野尻のような男がこんな罪を犯したのか、結局最後までその理由が明かされることはなかった。今更詮無いこと、人は生きている限り悔い改めることができる。本田は野尻ならまだしも江島までも命をかけて救おうとする。なぜ自分を殺そうとした人間を救うのか。答えた本田の言葉に野尻は悟る。何を悟ったのか正直私にはわからない。見定める方向が変わったのはわかる。
 
暗雲が消え、野尻の頭上に冬の空が広がる。灰色の凍えんばかりに気持ちのいい空が。

冬の北アルプスのスケール感と敏郎さんのスケール感、そして喬さんとの演技の掛け合いを楽しんだ。互いにどんなことを感じていたのか。警戒や不安と共に、自分にない才能を備えている相手を観察し互いに見惚れていたのではないだろうか。やがて互いが妙にシックリくることにひとまず安堵したのではないか。彼となら仲間としてやっていけそうだと。
 
本作の敏郎さんは、のちの三船敏郎とは別人のように見える。ただその無色性は束の間で、『酔いどれ天使』を待たずに次作の『新馬鹿時代』で既に三船敏郎の色が出てきている。早熟な人だったんだなと思う。全てが未定で暫定的、ぱっとしない猶予期間を生きる自由でテキトーな敏郎さんをもっと長く見ていたかった気もするが許されるはずもなかった。もう誰も敏郎さんを無視できなくなったのだから。真面目な敏郎さんは早々に役者を一生の仕事と心に決めたのかもしれない。


  
作品データ
スタッフ、共演者